高槻とは?

このページでは高槻の街について、位置、歴史、自然などを、高槻ジャズストリートと絡めながら紹介していきます。遠方にお住まいの方に高槻を少しでも知っていただくことはもちろん、高槻市内や近隣の街にお住まいの方にも高槻を再発見していただけたらと思います。

高槻の位置

高槻市は大阪府の北東に位置し、市の北部で京都府と接しています。大阪市と京都市のほぼ中間にあたり、この位置関係は高槻市の市章にも表れています。

市章/高槻市ホームページ

高槻に縁のない方が初めて高槻の街をご覧になったとき、高槻の街についてこんな印象をよく受けられるようです。

「高槻って、あまり大阪らしくないですね。」

それもそのはずだと思います。遠方にお住まいの方が「大阪」と耳にしてよく思い浮かべるキタ(梅田)やミナミ(難波)の街並み、さらには大阪城、道頓堀、通天閣などはすべて大阪市にあります。そして、高槻市からこれらの場所まで、意外に距離があります。むしろ京都市の中心地に行くほうが早いかもしれません。現在では主に大阪市のベッドタウンとして発展している高槻市ですが、だからといっていわゆるコテコテの大阪かというと、そうでもないように思います。

また、古くから栄え今でも観光都市としてにぎわう京都市も近くにあることも、高槻市の個性が目立たなくなっている要因なのかもしれません。そのような環境のなか、高槻ジャズストリートが高槻市の個性を引き出すとともに、高槻市の個性のひとつとして存在できれば幸いです。

高槻の歴史

実存した最古の天皇とする説もある継体天皇(けいたいてんのう)の陵墓といわれる今城塚古墳(いましろづかこふん)や、藤原鎌足が被葬者であるともいわれる阿武山古墳(あぶやまこふん)などが造られた古墳時代。そして、1943年に市制が施行され、ベッドタウンとしての発展を見せてきた近現代。このように連綿と続く高槻の歴史をひとくちで述べることはあまりにも難しいため、ある建築物に焦点を当て、高槻の歴史を紹介いたします。高槻城です。

ここで高槻城の歴史をひもといてみましょう。

  • 1333年、入江春則が入城。
  • 1568年、織田信長が京都や高槻に侵攻。入江春継が城主となっていた高槻城は開城される。
  • 1569年、織田信長の配下として活躍した和田惟政(これまさ)が城主となり、城としての基礎を固め、キリシタンを援助する。
  • 1571年、和田惟政が戦死。息子の惟長(これなが)が城主となる。
  • 1573年、和田氏の家臣でキリシタン大名である高山飛騨守(ひだのかみ)と高山右近の親子が和田惟長を追放、荒木村重(むらしげ)に属する。高山飛騨守が城主となるが、しばらくしてその座を右近に譲る。この時期から高槻城は、より堅固なものとなる。
  • 1574年、高山飛騨守が城内に天主教会堂を建設。布教活動の拠点とする。
  • 1578年、荒木村重が織田信長に対し謀反を起こすが、高山右近は高槻に攻め入る信長に投降。この行為がキリシタンの領民や村重に差し出した人質(右近の家族)を救うことになり、さらなる高槻の発展につながる。
  • 1585年、高槻が豊臣秀吉の直轄領となる。高山右近は明石へ国替えとなり、1649年に至るまで高槻城の城主はめまぐるしく交代する。
  • 1617年、江戸幕府により近世城郭として修築される。
  • 1649年、永井直清(なおきよ)が城主となる。以降、幕末まで永井氏が13代にわたって居城。
  • 1874年、京阪間に鉄道を敷設するため石垣が破却され、用材として使われる。

戦国時代から江戸時代の初頭にかけて数多くの城主を迎えた高槻城は、乱世の象徴だったともいえるでしょう。文明開化にともない高槻城の姿は消えましたが、今では城の跡地が「城跡(しろあと)公園」として残り、堀を模した石垣や高山右近像などが当時の様子をわたしたちに語りかけます。

高槻ジャズストリートが開催される日になると、この城跡公園も主要な会場のひとつとしてにぎわいます。高槻の発展に大きく寄与し、波乱の生涯をマニラの地で終えた高山右近が今も健在だとしたら、どんな思いで高槻ジャズストリートを見つめるでしょうか。高槻のさらなる発展に目を細めるか、あまりの人に敵襲かと目を疑うか……。

高槻の自然

北部の山地と南部の市街地。高槻市を大まかに二分すると、こうなります。北部はポンポン山(標高678m)などの山が連なる北摂(ほくせつ)山系の一部で、集落と田畑、山林が接したのどかな里山の風景が広がります。その一方で南部は市街地ですが、農耕地やため池、水路なども残されています。市の南端は淀川で、その河川敷を広くヨシがおおう地域もあり、「鵜殿(うどの)のヨシ原」と呼ばれています。

このような北部の山系と南端の淀川をつなぐかのように流れている、高槻を代表する川があります。芥川です。高槻市と京都府亀岡市との境にある明神ヶ岳(みょうじんがだけ)を源流として、桜や紅葉の名所として知られる摂津峡(せっつきょう)を流れ、市街地を経て淀川に注ぎ込みます。

1970年代、芥川の水質は悪化しました。しかし、現在では子どもたちの泳ぐ姿が見られるほどにまで水質は回復しています。緑豊かな自然が残るこの川には約40種類の淡水魚類が生息し、特別天然記念物のオオサンショウウオも確認されています。夏の夜にはゲンジボタルが舞い、カジカガエルの鳴き声も聞こえます。冬にはユリカモメやカモ類をはじめとする渡り鳥が飛来します。また、散策やジョギング、釣りやバードウォッチングを通して芥川を楽しむ人も多く、このように人々に愛されていることが芥川の一番の特徴ともいえるでしょう。

さて、高槻ジャズストリートの舞台となるさまざまな会場は、市の中心地である阪急高槻市駅とJR高槻駅の付近に集中しています。しかし、今年も昨年に引き続き、摂津峡にほど近い芥川緑地資料館(あくあぴあ芥川)も会場になります。人々のふれあいの場として、また自然観察の中継地点として親しまれるあくあぴあ芥川で、流れゆく芥川を背景に水上ステージでの演奏をお楽しみください。

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