私は〈神戸〉にプライドを持っている。日本ジャズ発祥の地・神戸で 生まれ育った私は、大阪や京都のライヴハウスに行く ことさえ抵抗を覚 える人間だ。
そんな私が、あろうことか高槻の、それもジャズストリートと いうお 祭りのボランティアをすることになった……。
一昨年、初めて高槻ジャズストリートを訪れた。それは応援 している ミュージシャンが、複数参加していたからだ。 そして私は、規模の大き さ、ひとの多さ、その充実度と熱さに 大きなショックを受けた。発祥の 地であり聖地であるはずの 神戸が、完全に負けていたのだ。
演奏会場は、中学校の屋外の片隅、駅前の噴水広場。 どちらも照りかえるような陽射しの中での熱演だ。熱い演奏が、 大空に響き渡り、それはさらにドラマチックになって、私の中に 入って来た。
この巨大な催しが、ミュージシャンだけではなく、一般市民の ボランティアの力が大きいことを知った。これがまた私にとっては 感動だった。
昨年、無性にボランティアに参加してみたくなり、私の仕事柄、 パンフレット制作班に手を挙げた。肝心のパンフレット制作は、 ほんのひと欠片かじる程度に終わったが、本番当日、グラウンド 会場でドリンク販売のお手伝いをすることになり、大声でそれに 従事した。(もちろん演奏中は静かにしました) これまで様々なボランティアに参加したが、久しぶりに大声を出し て、むちゃくちゃ気持ちよかった。
そして今年もパンフレット制作班に先ず手を挙げた。日曜日の ミーティングに出席した時のこと、あるかたから「ミュージシャンの お世話をするアテンド班に参加しませんか」と誘われた。 話を聞いてみると簡単なことに思え、「楽勝やないですか!」と、 即快諾した。 パンフレット制作の方は、思うように情報、原稿が集まらず、 神戸に 住んでいる私が深く関わると、却って足手まといになり、 原稿量の調整など軽い作業に終わった。
さて、問題は〈アテンド〉だ。話を聞けば聞くほど、「こんなん出来 るかなぁ?」と不安になって来る。最後はもう開き直りの気分だった。 私は、担当するミュージシャンが喜ばれるであろうことを考えてみ た。CDの販売もこちらから勧めた。CD販売時、予想される 釣り銭を 考え、ありったけの百円硬貨を用意した。ミュージシャンのサインを 書いてもらう時、お客さまのお名前が入れば買ったかたもうれしかろうと、 サインペンは勿論のこと、メモ用紙も持参した。先ずお客さまに メモ用紙へ名前を記入してもらう。 その名前をミュージシャンのかたが見て書いてもらうのだ。 すると雑音の多い中でも、聞き返す心配も不要だからだ。 CD販売は大成功だった。流れもスムースで、東京から持参され たCDは完売した。「こんなことだったら、もっとCDを持っ て来れば よかった」と、ミュージシャンのかたが呟かれ、それを聞いた時は うれしかった。 ここではCD販売を例にあげたが、その他もすべて巧く行った。 二日間のアテンド活動は、私の生真面目さもあり、足が棒のように疲 れた。しかし、帰りの新幹線の中から送信されたであろうミュージシャ ンのかたのお礼メールを見た時、本当にうれしく、感動した。そこに勿 体ないほどの感謝の言葉が記されていたからだ。
今年、アテンドの活動をさせていただいて本当によかった。ミュージ シャンとボランティアの信頼、ボランティア同士の信頼、老若男女を問 わないボランティア層……この慌ただしい時代の流れの中で忘れて来た 大切なものを、高槻ジャズストリートが振り向かせてくれた気がする。 高槻ジャズストリートは最高だ!!
【ペンネーム】あのォ・このォ・サノです(神戸市東灘区)