2006年からのかかわり

高槻ジャズに参加したのは。。

あれはもう何年前になるでしょうか。確か、まだ私が 若かった2006年頃でしょうか?

ちょうど、私は長年続けるだけは続けて来たブラス バンドに見切りを付けて、聞くのも演奏するのもJAZZ だけに絞ろうといろいろ模索していたときでした。

ブラスバンドも極めればオリジナリティがあるし面白い のですが、どうしても演歌からクラシックまで。それも いつもDrumsだけやってれば良いと言うものでもなし。 息子が大学に入り、有名ビッグバンドでレギュラーめざし 始めたのも刺激になっていて、トシは関係ない、チャレン ジだ!みたいな勢いもありましたから。 若気の至りと言うのか。年甲斐もなく、と言うのか。。

で、とあるBigBandを見学に行き、来週高槻でライブやるよ。 見に来てね、と言われて素直な私ははじめて高槻ジャズを 観客として見に来ることになったのでした。

この年は写真だけ撮ってあげて、それでもビール片手に あちこち聞きに歩く作法だけはすぐに身につき、これ、 見て歩くより街中でPA拡げたり、テント建てたり、 我が物顔に(?)スタッフやった方が絶対に面白い!と 翌年の参加を決めたのでした。

翌年、私は新しいBigBandの立ち上げにちょうど巡り合う ことになり、初めて高槻JAZZストリートにバンドとして 出演する幸運を得ました。

エントリーし、ホームページを見、ミュージシャンも運営 に参加して、との呼びかけにまたまた素直な私は「それは 当然だ!」と共感し、練習のある土日、隙間を見つけて ミーティングに顔を出してみました。 ボランティアスタッフとしても高槻に関わる幸運を得た わけです。 いや、これだけは悲運と言えるかも知れません。

当時はBIRDの2階でしたね。

何のチェックも入会手続きもなく、みんな昨日から知り 合いのような顔で座っています。素直な私も昨年から 居てたような顔でミーティングに加わり、自己紹介をし、 訳のわからないままに意見も出し、去年の様子や感想は 言えるわけですから、思ったことを言い、ミーティングが 終わったら事務局に行くことになりました。

この一般では考えられない誰かわからんやつでも当たり前の ように仲間になれる、最初の極めて低いハードルが高槻ジャズの 最大の魅力だと思います。

あとは急な坂を転がり落ちるようにジャズストの奈落に はまりこんでいったのでした。 2005年にジャズストを知り、2006年からは7回連続で出演・ かつボランティアさせていただいていることになります。 ツライこともあるし、時間も体力も使うし、なぜ続けているか? と聞かれても困るのですが、毎年あって毎年いかなしゃーない、 行けば知っている面々に会える。 他も皆さんもそんなものなのではないでしょうか?