風邪引いて治って

先週、6ヵ月ごとの検査を受けて、その結果の告知が月曜日にあり、医師から100点満点をいただきました。肝臓機能も血圧も中性脂肪値もコレステロル値も尿酸値もすべてが正常値を記録していました。節制の賜物と医師からお褒めいただき、「今年の冬は風邪を引かなかったのが良かった、これからもしばらくは注意すように」と言われたのでした。

ところがです。その日のうちに風邪気味の症状が発生、火曜日は何とか持ちこたえたものの、水曜日からは症状は本格化、昨日まで早い目に帰宅して養生に努めました。そのおかげで今日はほぼ風邪から脱することが出来たようです。今日は朝から例の「天然温泉・鳥飼の里」に出かけて、久し振りの入浴。心身ともにさっぱりしてまいりました。

来週からはま~爺は本格的に忙しくなります。まず、鹿児島や東京などから演奏やボランティア活動のために来られるグループのために無料の宿舎を手当てしたり、パンフレットが出来上がってくれば、開催当日まで無料で保管いただく倉庫を手当てしたり、ミュージシャン説明会の資料を作成したり、何やかやと目一杯スケジュールが詰まっています。

明日は定例のミーティング。今夜はチャーリーこと高島さんと一緒に京都ラグへライブを楽しみに行ってまいります。ミュージック エース ジャズ オーケストラの定期演奏会ですが、お目当てはほとんどの曲でソロを取るはずのテナーサックスの西村有香里さんとゲストヴォーカリストの小柳淳子さん。週明けから走り回るためのエネルギーを注入してもらいます。

あと一ヵ月に迫って

5月3日、4日の本番まで余すところ1ヵ月。毎年雨が降らなければいいがと、天候のことだけを心配してきましたが、今年は例え天候に恵まれたとしても、震災の影響で例年のように果たしてジャズを楽しむために大勢の聴衆が来てくれるものかどうか心配です。

ま~爺はこの後、明日の午前中までお休みをいただきます。まったくの私用のためです。これから本番まではおそらく一日たりとも休むことはできないものと覚悟を決めていますので、最後の英気を大いに養うつもりです。パンフレット班のみなさん、ゴメンナサイです。

ま~爺ほどの高齢になると別ですが、若い世代のボランティアの場合は、一生懸命になればなるほど気が立つというか、発する言葉が厳しくなることがあります。相手のちょっとした言葉が勘に触って、思わずきつい言葉を返してしまうようです。みんなお互いに仲良くやろうよ。

広報や申請などで

パンフレット班のみなさんの奮闘のおかげで、パンフレットの出稿が無事に終わった様子。パンフレットの出稿が終わったということはもちろん、会場のブッキングも終わっているということで、まずは一つの大きなハードルを越えたというべきです。あとは各班の活動内容と会場ごとのリーダーを決めること。残すところはあと一ヵ月です。これからが勝負です。

ま~爺のこれからの役目は、催しの広報と各種申請書類の作成と提出。今日も月が代わったところで、高槻警察署長あてに城北通りの車止めをお願いする書類と高槻市長への補助金申請書と道路使用占有許可申請書を作成して提出しました。この種の申請はこれからまだ次々とありますよ。パンフレットが印刷されて届けば、その配布なども大切な業務になります。

ところで今日は万愚節。四月馬鹿の日とも言って、嘘を吐くことが許されるとか。万愚節も四月馬鹿も俳句の季語として歳時記に登録されています。俳句と言えばこの日は「広島や玉子食うとき口あける」「水枕がばりと寒い海がある」の作で知られる西東三鬼の忌日。俳句とは関係ありませんが、市役所で人事異動があり、文化振興課長が交代しました。

ラストスパート

タイトルの「ラストスパート」はパンフレットの作成にかかわるものです。明日のデータ出稿を前に、ゼンリュウさんこと上田さんの自宅にやっさんこと廣口さんがお邪魔して、二人で最後の追い込み。昨夜は深夜まで、立花嬢と山口さんが広告の作成と整理のために奮闘してくれました。昨年まで担当してくれていたベテランが抜けたとあって、最大の難関と目されていたパンフレット制作でしたが、なんとか目鼻がついて様子です。

パンフレット班のみなさんが奮闘中のところ、ま~爺はパンフレット班からの指示にいつでも迅速に対応すべく事務局に待機しています。今朝も早速最後の広告データのチェックをいただきにクライアントのお店までひとっ走りしてきました。時期が時期だけにその間にもちょこちょこと用事が発生しますが、何をするにも呼び出しがあれば5~10分以内に事務局に取って返せる範囲にとどめるようにしています。

さて、福島第一原子力発電所のことが心配でなりません。昨日のこのブログで、セシウムとヨウ素に比べて半減期が2万数千年とけた違いに長いウランとプルトニウムの測定値はどうなっているんだ、と書きました。ようやく今日の朝刊紙上にプルトニウムが測定されたとの報道が登場しました。プルトニウムが測定されたのはほんとうに昨日なんですか?発表を遅らせていたんじゃないんですか?

やっと、ようやく、なんとか

実に、実に、久し振りの更新です。この間ま~爺はとっても忙しく元気に働いておりました。会社回りもありましたので毎日、面談相手に敬意を表して平素のま~爺には珍しく、ネクタイにスーツ姿で威儀を正しての出動でした。そんなことから今日やっと解放されたようです。みなさんの奮闘があって、パンフレットの原稿締め切りの昨日までにぎりぎり、予定の枠を埋めることができました。ようやく、何とか、やっとの感ありです。

昨日のことですが、倉庫の作業中に入口の鉄製の引き戸にかかとをぶつけてケガ。靴の皮と厚手の靴下まで通してかかとの皮膚が損傷するほどの衝撃だったよう。平坦を歩くに支障はないものの階段を降りるときにかなりの痛みがありますので、今日は事務局にじっとしておこうかと。幸か不幸か、パンフレット班のやっさんこと廣口さんから、いざというときのためにか、今日から2~3日間の禁足を言い渡されています。

このたびの東日本大震災で、被災者のみなさんのことに心痛む思いが募る一方で、何とも腹立たしい思いにとらわれているのは、政府と東京電力が一体となって敷いている福島第一原子力発電所の不祥事をめぐる報道管制のこと。大手メディアと御用学者どもがこぞってこの体制にひれ伏しています。被災者の方々をはじめ私たち国民のもとに果たしてほんとうのことが伝えられているのでしょうか?

事故発生の直後から伝えられていた炉心溶融(メルトダウン)のことは、その後新聞の活字から姿を消しました。メルトダウンという活字も事故発生直後の一部スポーツ新聞(通産省や東京電力の記者クラブに所属していない)にのみ登場しましたが、それも翌日からは姿を消しました。漏えい放射能のうちヨウ素とセシウムの測定値のみ報じられていますが、半減期のとてつもなく長いウランとプルトニウムは測定されていないんですか?

いよいよ本格活動へ

ちょっとした憤懣(冗談ですが)を晴らすべく京都まで出向いて食べたカニの刺身はとても美味しゅうございました。ということで気分一新(これも冗談ですよ)朝から走り回っています。そんなときJR高槻駅前で天神祭に遭遇。柿原勝彦高槻市観光協会長がなぜかハッピを着て魚屋さんに化けていました。観光協会のイベントとのことでしたが、副会長のJkのじゅんこと北川氏の姿を探しましたが、見かけませんでしたよ。

ところで、上下並行するエスカレーターを利用するとき、左右のどちらに乗るでしょうか?実はこれは決まってはいないんですね。例えば阪急高槻市駅のホームに向かうエレベーターの場合、大阪方面行きのホームへは右ですが、京都方面行きのホームへは左です。これは阪急高槻市駅のエレベーターに限らず右だったり左だったりします。おそらく平素の人の流れを考えてのことでしょうか。でもこれだと視覚障害者は困るでしょう。

閑話休題。今年はパンフレットのページ数が増えて広告の枠数も増えます。縦の協賛広告は別にして、記事下の広告を230枠は確保しなければなりません。昨年の分をすべて継続いただいたとしてもまだ足りません。一昨年の分の復活ないしは新規の分をかなりいただかないことにはおっつきません。そんな中昨年のスポンサーの中から今日だけで3件も辞退。もう応援しなくても大丈夫だろう、というのが辞退の理由でした。

本格活動はこれから

昨日は地下鉄を乗り継ぎ乗り継ぎして、大阪21世紀協会、大阪府教育委員会、大阪観光コンベンション協会、オーストラリア総領事館など、大阪市内を回りに回りました。

最後に広告のお願いに伺った新大阪のある企業で時間切れとなり一日の予定を終えましたが、大阪商工会議所と大阪府文化課を残しましたので、今日の午後に行ってまいります。大阪府文化課は咲州(南港)のWTC(大阪府咲州庁舎)に移転しましたので、遠くて大変。

関係団体から後援をいただく届け出のための訪問ですが、それも今日であらかた終了。スクールJAZZコンテストの助成金絡みの報告書も、今日最後の修正書類を提出したことでほぼ終了です。

どっちみち不景気風が吹きまくっている1月2月は、どのお店も会社も売り上げ停滞中。うっかりお願いに伺うとかえってヤブヘビになりそうで、怖い怖い。しかし、これからはいよいよスポンサー獲得のための活動を本格化させるつもり。

大阪から帰って事務局で一服した後、まち株のお使いで市長秘書室を訪ね、そのあとは個人的な楽しみのため京都へ行ってまいります。最近カニのことでちょっとした鬱憤があって、それを晴らしにカニを食べに行くのです。大好きなカニの刺身をたらふく食べてまいります。

使い物になりません

今年は2日間にわたって、高槻セレクトシネマの2劇場とも高槻ジャズストリートの会場として開放していただくこととなり、関西大学高槻ミューズキャンパスが会場に決まったことと合わせて、これで今年の46会場がほぼ確定しました。あとはこの両会場をどのように有効に使うか、音楽班を中心に検討していただくことになります。楽しみです。

ま~爺は首を寝違えて大変です。昨日は大したことはないと軽く考えていましたが、今日になってちょっとひどい状態になり、難儀しています。何が原因かわかりませんが、ま~爺の場合平均して1~2年に1回くらいは首を寝違えます。かてて加えて昨夜には歯の治療跡に不具合いが発生、今日の4時に歯科医院に予約を入れています。

そんなこんなで、今日ばかりはま~爺は使い物になりません。朝から事務局にいて出来ることと電話で済ませることとをこなしていましたが、電話でアポイント取っているうちに、今日のうちに来て下さいという返事をいただきました。大慌てでこれから行ってまいります。なんとなく何かいいことが起こる予感がしますので、飛んで行ってまいります。

ちょっぴり反省の日

先週からボチボチとですが、協賛広告のお願いに企業やお店訪問を始めました。それと並行してミュージシャン用の駐車場、ボランティアスタッフの賄い、演奏会場の音響やステージ、来年の会場として公共ホールの予約、などなどあれやこれやのことを処理しなければならず、少しも息が抜けないところです。

そんななか昨日はミーティングが終わった後、打ち合わせのために今年から会場となるインパクトへ、すきっ腹を抱えて行ったのがいけません。たった2~3杯のビールにすっかり出来上がってしまい、そのあとは酔った勢いで、夕食も兼ねて立ち寄ったお店を含めて4~5軒の梯子酒。

ま~爺が降参して帰る寸前まで介助して下さったのはE嬢。ご迷惑をお掛けしました。E嬢はま~爺とバイバイした後も、呑み直すのだと言って出かけて行きましたよ。大丈夫だったかな。

ま~爺の方は今日は二日酔いとまでは言いませんが、やや気分低迷気味。来月院内のコンサートにミュージシャンを派遣する有料老人ホーム「朋央」へやっさんと同道。会場の下見と打ち合わせ。そのあと日本たばこ産業総合医薬研究所へ。協賛広告の契約と会場使用の手続き。

やや気分低迷気味のところで、午後は事務局に籠って昨夜の過飲をちょっぴり反省中。

ま~爺は今夜、道頓堀の大阪松竹座へ行って歌舞伎を鑑賞してまいります。二月大歌舞伎の通し狂言夜の部の演し物は4世鶴屋南北の作品で関西初上演の「盟三五大切(かみかけてさんごのたいせつ)」。出演は片岡仁左衛門、中村芝雀、片岡愛之助、市川段四朗、ほか。楽しみです。

街に根付いたジャズ

昨日はミナミジャズセミナーという催しに観客の一人として参加してまいりました。ミナミジャズウォーク事務局が主催して、心斎橋のクロスホテル大阪の宴会場で開催。ミナミジャズウォーク、神戸ジャズストリート、高槻ジャズストリートのそれぞれに深く関わるミュージシャンが発言し、食事を伴う交歓会では演奏もするという趣向でした。高槻ジャズストリートを代表するミュージシャンは小柳淳子さんと古谷光広さん。

パネラーたちの発言がひととおり終わって、会場から登場した発言者(神戸ジャズストリートを代表するバンドノメンバー)が、パネラーたちがこぞって高槻ジャズストリートのことを称賛したことに反発してか、「神戸にはジャズのライブハウスもあり、お店などでは日常の中でジャズが流されていて、ジャズのまちとして定着している。これに対して高槻ではどの店でもジャズは流されていない。ジャズは催し本番の2日間だけだ」と発言しました。

これを聞いた古谷さんがややあきれ顔で反論してくれました。「高槻に来ればわかりますが、高槻にはジャズライブハウスというような専門店はありませんが、普通の喫茶店やバーなどで毎日、ときには昼も夜もジャズを演奏している店もあります」と。ま~爺が知る限りでも、有線放送のチャンネルを終日ジャズに合わせているお店も何軒かあります。件の発言者は、あまり知らない街のことを知ったかぶりして物を言う愚を犯したわけです。

さらに付け加えるなら、高槻ジャズストリートが発祥して以降、行政、労働組合、農業組合、企業、業界団体、社会奉仕団体などの催しに、ジャズのバンドが招かれ演奏する機会が増えています。高槻市の姉妹都市である益田市や若狭町からも乞われてジャズのバンドを送りました。最近では特別養護老人ホームなどの社会福祉施設からも頼まれてジャズのバンドを紹介しています。ジャズは高槻の街に間違いなく根付いています。