栗東さきらホールへ

 

芭蕉忌の一日近江に遊びけり          卓三

一日はひとひと読んで。俳人松尾芭蕉の忌日は陰暦十月十二日。芭蕉と近江との由縁は深く、墓も膳所の義仲寺にある。

近江に遊んだと言っても、ジャズのライブを聴きに栗東のさきら大ホールまで行って帰っただけ。膳所も石山も途中駅。

毎年のこととは言え、小柳淳子さんをゲストに迎えたミュージック エース ジャズ オーケストラの演奏は素晴らしかった。

これも営業活動?

 

寒き日の人がらがらの露天風呂                       卓三

温泉の朝風呂へ。バス利用ながら寒かったので、薄手のダウンを纏っての出動。客の入りはそこそこながら、寒さのせいか、普段は人気の露天風呂に人はまばら。

ジャズストグランドスポンサーの大阪紙器工業のイベントを見学に。はにたんふわふわドームや自社製の段ボールで作った迷路など子供たちに人気だった。

 

高槻は焼き鳥王国

 

焼鳥や串が勘定してくれる              卓三

焼鳥が季語。注文を伝票に付けなくても、残った串の種類と本数だけで勘定するのが焼鳥屋の昔からのやり方。

客の中には串を足許に捨てたり、カバンなどの中に隠したりして勘定をごまかそうとする輩もいたりしたとか。

焼鳥は酒の肴としてま~爺の好物の一つ。ビールにも日本酒にも合う。高槻はなぜか焼鳥の美味しい土地柄だ。

今夜は小柳淳子ライブ

 

朝湯して勤労感謝する日かな         卓三

天八にあるま~爺愛用の温泉は週末は八時から朝湯営業。この朝湯に嵌っている。快適この上なく、湯上りのビールが旨い。

こんなときも働いている人がいる。文字通り勤労に感謝しなくては・・・。自らはもう働かなくなったのでなおさらだ。

今夜は四ツ橋でクラップ・ストンプ・スインギンをバックに小柳淳子さんが歌うレコ発ライブ。パーティーにも出席の予定。

どこかに同名のバー?

 

梟のごと泰然としてゐたし          卓三

梟の実物を目近に見た記憶がないが、ま~爺が同人誌に書いているコラムのカットが毎回決まって梟。泰然はそのイラストから得たイメージ。

河出書房の歳時記に「ふくろうや並みてかがやく洋酒壜」がある。作者は朝倉和江という女性。同じ名前のバー、どこかほかにもあるんやね。

来年一月十九日に開催するスクールJAZZコンテストの準備は着々。それにしてもラマンタの男こと天野さんの仕事ぶり(交渉力)は見事。

用がなければ・・・

 

生と死は隣り合はせや木の葉髪            卓三

木の葉髪が季語。抜け毛のこと。秋から冬にかけて、すなわち落葉の季節に抜け毛が増えるそうだ。

ついこの間まで元気だった人が不意に亡くなる。人の命というのはほんとうに儚いものだと痛感する。

事務局には毎日出て来ているが、さしたる用がなければ帰宅する。家でもすることがない。で、俳句三昧。

 

有難いことに・・・

 

短日の二者択一を迫らるる     卓三

日暮れが早いこの時期、日短か、短日の季語がある。私と彼女のどっちを取るのよと迫らるシーンではない。

それは冗談だが、スケジュール調整などでどっちにしよう?って迷うこと、あるよね。何でも俳句になるということの一例。

ある会社から高槻市を通じて、ジャズストのグランドスポンサーになりたいとの申し入れ。早速昨日参上。有難いことだ。

しばらくは安閑と

 

神は留守にて神主は不在勝ち           卓三

十一月は神無月とも言われ、神様は揃って出雲の国に集まる。すなわち神の留守。神の旅という季語もある。

特定の神社のことではない。もちろん野見神社のことでもない。実際はこの時期、七五三詣で宮司は忙しい。

食の文化祭の反省会も終わり、高槻市への事業報告書も提出、ジャズストが始動する十二月までは安閑だ。

食の文化祭反省会

 

今朝冬の時報に合はす腕時計           卓三

今日は立冬。紅葉はなお見頃だが、暦の上では今日から冬。歳時記では立冬のことを冬立つ、今朝の冬などと言う。

でも、ま~爺の腕時計は超安物ながら、一年を通じてほとんどまったく狂いがない。時報に合わすこともないほど。

今日は城跡公園市民グランドで高槻市農林業祭。農林業祭と言えば毎年決まって雨。三時からは食の文化祭の反省会。

文化の日に寄せて

 

文化の日葬儀無用の遺言書            卓三

文化の日と言ってもちなんだ催しがあるわけでもなく、特別の感慨が湧くこともない。遺言書と文化の日も無関係。

戦前は明治天皇誕生日であって明治節と称した。明治の日と改称すべしとして、法改正の動きが広がっているらしい。

ナショナリズムを鼓舞し、戦前への復古を模索する最近の動きにはすざましいものがある。手がつけられない勢いである。