食の文化祭へゴー

 

電話鳴り昼寝のぷつんぷつんかな        卓三

立秋を迎えて、歳時記の上では今日から秋。しかし、かくも暑くては秋の俳句は詠めない。夏の季語の昼寝。ま~爺は五月限りで事務局を辞し、何もする用がなくなったので、もっぱら昼寝を楽しんでいる。「晩年に得たる奢りや大昼寝」も最近作。奢りは贅沢のこと。

ところがこのところ、ケータイの呼び出し音がよく鳴るようになった。事務局あての電話は自動的にま~爺のケータイに転送される。食の文化祭を巡る動きが始まったということ。ほとんどが出店についての問い合わせ。明日が初ミーティング。早くポスターが欲しい。

今日は原爆忌

 

聞きたきは死者の声なり広島忌       卓三

広島に原子爆弾が投下されたのは七十年前の八月六日。歳時記は原爆忌を表題とし、六日を広島忌、九日を長崎忌としている。一瞬にして三十万人を超える犠牲者を出した広島の惨状は戦争の酷たらしさ、愚かしさを象徴している。

このような季題をユーモラスに詠むということは許されないが、生き残った者たちや戦争を知らない者たちが式典などの壇上に立って語るもっともらしい口吻に対して、諧謔心が放ったイロニーを感じていただければ本望である。

祭りが終わって・・・

 

願はくば癌で死にたし籐寝椅子       卓三

三島救急センター初代所長の田邊治之さんから『ガンほどすてきな病気はない』と題した自著をいただいた。ガンは死期の予測が可能で、その間に身辺の整理ができる、ということが書かれていた。田邊先生は肝臓ガンを患っておられて、治療を受けないままやがて亡くなられた。『患者よ、がんと闘うな』の近藤誠氏が登場していない、二十数年も前のことである。

ま~爺は十数年前に脳梗塞の発作を起こして救急搬送され、そのまま三ヵ月ほど入院した。爾来、死(とくに突然死)を意識するようになった。一昨年末に妻に先立たれてからはとくにそうである。『徒然草』の兼好法師は、死は後ろより来る、と宣ったらしいけれど、その死はおそらく突然死のこと。後ろでなく前にあって、人が死と向き合えるのがガン死である。

祭りが過ぎてから・・・

 

祭りには苦い思い出ありにけり      卓三

歳時記には春祭り、秋祭りの季語もあるが、祭りは夏の季語。苦い思い出って何?と聞かれそうだが、散文と違って俳句では説明しなくてもいいのだ。どうぞ適当に想像してみてくださいということ。

明日からの二日間は高槻まつり。今年は昨年に比べて食の文化祭に向けての取り組みが遅れているが、高槻まつりが終わらないことには何もどうにも始まらない。八月九日のミーティングがスタート。

祭りのシーズン

 

リポビタンD一本の暑気払い       卓三

暑気払いは歳時記によると「暑さをしのぐために薬や酒を飲むこと」などとある。「俳句のユーモア」の坪内稔典さんに倣って、商品名を使った俳句を作ってみた。商品名はアリナミンAでも何でもよかったのだが・・・

祇園祭り、天神祭に続いて昨夜は城北祭り。高槻ジャズストリート実行委員会として焼きそばの屋台を出店した。JKスタッフのお蔭で資金稼ぎをさせていただいた。ご苦労様でした。今週末はたかつき祭り。

芥川龍之介の忌日

 

河童忌の昼の日中の露天風呂       卓三

河童忌は芥川龍之介忌の別称。服毒自殺したのは八十八年前の昭和二年七月二十四日。三十六歳だった。ま~爺は週に二回くらい、町場の天然温泉に出かける。露天風呂は暇な年寄りたちの憩いの場。そんな年寄りたちを河童に見立てたということではないが、何となく面白いのでは?

最新の芥川賞作家、ピース又吉こと又吉直樹が愛読していたというので、太宰治と共に芥川龍之介の小説も読まれるのでは。活字文化の世界にとってはありがたいこと。なお、又吉直樹は俳句にも凝っておられる由。堀本裕樹との共著「芸人と俳人」(集英社)も好評発売中のようである。

認知症の初期症状?

 

扉を開けてさて何だっけ冷蔵庫       卓三

扉は「と」と読んで。最近こんなことがままある。少し前にも「鍵を手に鍵探しをる夕薄暑」の一句も。どうもいけない。齢のせいにしたくはないが、認知症の初期症状だろうか?

今も真鍋さんに電話で謝ったばかり。食の文化祭のキックオフパーティーは昨日のことだったのに、今日のことだとばかり思っていた。パーティーは無断欠席ということになった。

梅が漬かりました

 

青梅やエコノミーよりエコロジー     卓三

近くの姉妹都市交流センターで福井県若狭町の梅を買って妹に漬けてもらったが、美味しく漬かったようである。スーパーなどの梅に比べて値がやや高い目だったが、無農薬を謳い生産者の名前を表示していて安心できるものだった。

スーパーで売られている商品のことをとやかく言うわけではないが、少しぐらい値段が高くても、無農薬で安心して食べられる食品が歓迎されるようだ。まあ、ま~爺ぐらいの齢の人間が今さら言っても始まらないが・・・

俳句のユーモア

 

七月の塩煎餅のいひひひひ      卓三

「坪内稔典氏に『三月の甘納豆のうふふふふ』ありて」の前書を付す。ま~爺の句は稔典さんの有名句のパロディー。パロディー句としては上手く出来ているんではないかと、ひそかに「いひひひひ」とニンマリしている。

坪内稔典さんと言えば、正岡子規の研究者としてもよく知られ、自ら結社も主宰される俳人。俳句にユーモア(山本健吉氏の場合はウィットですが)が大切なことを説かれている(「俳句のユーモア」/岩波現代文庫)。

 

なぜ「おめでとう」?

 

今日のこのままの明日なれ冷奴      卓三

俳句ブログ第二弾。「冷奴」はやや陳腐ながら、倹しくも幸せな夕べの食卓を象徴している。句意は文字通り、「今日も一日無事に終えることが出来た。このまま恙なく明日を迎えたい」ということ。ここにビールがあり相方があれば、思わず「おめでとう」と言ってグラスを合わすところ。元気に生きているということは、それだけでまことにめでたいこと。

みんなで集まって乾杯するときも、ま~爺は「カンパイ!」と言わずに、思わず「おめでとう」と言ってしまう訳はこんなところにある。だが、白状するなら、ま~爺がその作品を愛読した作家のコミさんこと故田中小実昌の物真似。誰かとの対談で発言していたのをそっくりそのままいただいてしまったというわけ。今ではすっかり癖になってしまった。